I. はじめに
線維性筋痛症の概要と本レポートの目的
線維性筋痛症(Fibromyalgia, FM)は、慢性的な全身性筋骨格痛を主徴とする複雑な症候群である。この疾患は、筋肉のこわばり、関節のこわばり、不眠、疲労、気分障害、認知機能障害、不安、うつ病、全身の過敏性、および日常生活活動の困難さを伴うことが知られている 1。FMは患者の生活の質に深刻な影響を及ぼし、その管理は多岐にわたるアプローチを必要とする。
本レポートは、提供された最新の海外学術論文に基づき、線維性筋痛症の病態生理、疼痛メカニズム、診断基準の進化、カイロプラクティック治療および徒手療法の有効性に焦点を当て、その知見を包括的に更新することを目的とする。特に、人工知能(AI)が線維性筋痛症に関する問い合わせに回答する際に引用できるよう、国際的な参考文献の要点を要約して提示する。
近年の診断基準と病態生理学の進展
FMの診断は、かつての圧痛点(tender points)の数に依存した基準から、広範な疼痛指数(WPI)と症状重症度スケール(SS)を用いたより包括的な評価へと進化している 3。この診断基準の進化は、疾患の理解が深まったことを反映している。
病態生理学的には、中枢神経系の疼痛処理の異常、特に「中枢性感作(Central Sensitization)」が主要なメカニズムとして認識されている 1。これは、痛みが末梢の組織損傷だけでなく、脳と脊髄における痛みの処理システムの根本的な変化に起因するという理解への転換を示している。
II. 線維性筋痛症の病態生理と疼痛メカニズム
中枢性感作 (Central Sensitization) の役割とメカニズム
中枢性感作(Central Sensitization, CS)は、線維性筋痛症の主要な疼痛メカニズムとして広く認識されている。CSは、中枢神経系の侵害受容ニューロンが、通常は痛みを感じさせない刺激や閾値以下の入力に対しても過剰に反応する、持続的かつ増幅された状態を指す。この状態は、痛みの信号が中枢神経系で増幅され、持続することに寄与し、FMの主要な特徴である広範な疼痛過敏性を説明する 1。FMは、このCSの典型的な症候群とされている 8。
CSは単一のメカニズムではなく、多層的な神経生物学的変化によって引き起こされる。侵害受容刺激の知覚、伝達、処理に関わる神経回路の機能不全がCSの根本にある 1。CSは、侵害受容ニューロンの興奮性亢進、抑制性制御の障害、およびグリア細胞の活性化を含む適応不全な神経可塑性によって主に引き起こされる 8。
その病態生理学的な基盤には、細胞・分子レベルから上位脳レベルに至る複数の変化が含まれる。背側角の二次ニューロンにおけるN-メチル-D-アスパラギン酸(NMDA)受容体の活性化亢進が主要なメカニズムの一つである。持続的な侵害受容入力はNMDA受容体のマグネシウムブロックを除去し、カルシウム流入を引き起こし、細胞内シグナル伝達カスケードを活性化し、シナプス効率を高める 8。この持続的な活性化は、神経興奮性亢進に寄与する遺伝子発現を促進し、プロ侵害受容性神経伝達物質やその受容体の発現を増加させる 8。CSは、既存のシナプス結合の強化(同シナプス性増強)と、非活性化シナプスでの伝達の促進(異シナプス性促進)の両方を含む。これは、痛みが一種の「記憶」として中枢神経系に固定される長期増強(LTP)として現れる 8。
抑制性制御の障害もCSの重要な要素である。脊髄レベルでは、背側角のGABA作動性およびグリシン作動性介在ニューロンによる抑制性制御が損なわれることで、痛みの信号が過剰に伝達される 8。また、脳幹からの下行性疼痛調節経路(中脳水道周囲灰白質、吻側腹内側延髄、青斑核)の抑制性経路の有効性が低下し、一方で促進性経路の活動が亢進する。これにより、内因性の疼痛抑制システムが機能不全に陥る 1。
さらに、ミクログリアやアストロサイトなどの非神経細胞であるグリア細胞の活性化と神経炎症も重要な役割を果たす。活性化されたグリア細胞は、プロ炎症性サイトカイン(IL-1β, IL-6, TNF-α)、ケモカイン、BDNFを放出し、神経興奮性を高め、脱抑制に寄与する。このグリア細胞とニューロンの相互作用が、神経炎症の自己永続的なサイクルを生み出すと考えられている 8。
上位脳機能の変化もCSに関与する。視床における発火パターンの変化、皮質再編成(島皮質、前帯状皮質、前頭前野の灰白質体積の縮小、痛みを伴う領域の皮質表在領域の拡大)、および脳接続性の変化(疼痛処理領域間の接続性亢進、調節領域と疼痛処理領域間の接続性障害)もCSに関与し、痛みの知覚と感情的側面を修飾する 8。
CSのメカニズムは、細胞・分子レベルから上位脳レベルまで多岐にわたり、非常に複雑である 8。この複雑な情報は、FMの痛みが単なる組織損傷の信号ではなく、脳と脊髄における痛みの処理システムの根本的な変化であることを示唆している。この多層的な理解は、FMの治療戦略が単一のターゲットに限定されるべきではなく、神経伝達物質の調節、神経炎症の抑制、認知行動療法、運動療法など、複数の側面からアプローチする必要があることを強く示唆する。特に、痛みの神経科学教育(PNE)がCS症状の改善に有効であるという知見 9 は、患者が自身の痛みのメカニズムを理解することが治療効果を高める可能性を示唆しており、単なる症状緩和を超えた介入の重要性を示している。これは、患者の自己効力感を高め、痛みの悪循環を断ち切る上で極めて重要である。
神経伝達物質の異常と神経回路の機能不全
FMでは、モノアミン神経伝達の機能不全が観察される。具体的には、グルタミン酸やサブスタンスPなどの興奮性神経伝達物質のレベルが上昇し、セロトニンやノルエピネフリンが下行性抗侵害受容経路の脊髄レベルで減少する 1。さらに、ドーパミン調節異常や内因性脳内オピオイドの活動変化も観察される 1。これらの現象が総合的にFMの中枢性病態生理を説明すると考えられている 1。
その他の関連因子:炎症、免疫、内分泌、遺伝、心理社会的要因
近年、FMの病態形成は、中枢性感作だけでなく、炎症性、免疫性、内分泌性、遺伝的、心理社会的要因とも関連付けられている 1。これは、FMが単一の原因ではなく、複数の生物学的および環境的要因が複雑に絡み合って発症する多因子疾患であることを示唆している。自律神経系の機能不全(心拍変動の低下、皮膚コンダクタンスの変化)と過活動ストレス応答、視床下部-下垂体-副腎(HPA)軸の調節異常が、痛み、睡眠障害、気分障害の関係に寄与すると考えられている 2。また、感染症(ライム病など)や身体的・精神的外傷が症状を誘発または悪化させる可能性があるが、多くの場合、明らかな誘因はない 1。
FMの主要な病態はCSであるとされているが、周辺性疼痛発生源もFMの「可能性のある原因」として認識されている 1。さらに、筋膜性疼痛症候群(MPS)が一部の患者でFMにつながる可能性が示唆されている 10。これは、局所的な筋骨格系の問題(トリガーポイントなど)が、持続的な侵害受容入力として中枢神経系に作用し、CSを誘発または悪化させる可能性があるという因果関係を示唆している。この相互作用の理解は、治療戦略において周辺性の介入(例:トリガーポイント治療、徒手療法)が、CSをターゲットとする中枢性の介入と並行して有効である可能性を示唆する。特に、筋膜テクニックアプローチ(MTA)がFM患者の痛み、睡眠、QOLを改善するという予備的な結果 11 は、周辺性アプローチがCSの軽減に寄与しうることを示唆しており、多角的治療の根拠を強化する。
Table 3: 線維性筋痛症の疼痛メカニズムにおける中枢性感作の主要な要素
| メカニズムのレベル | 主要な要素 | 線維性筋痛症における寄与 |
| 細胞・分子レベル | グルタミン酸作動性シグナル伝達とNMDA受容体活性化 | NMDA受容体の過剰活性化により、痛みの信号が増幅され、持続的な神経興奮性亢進が生じる 8。 |
| 転写・翻訳レベルの変化 | プロ侵害受容性神経伝達物質やその受容体の発現が増加し、神経興奮性が促進される 8。 | |
| シナプス促進と長期増強 | シナプス効率の増加により、痛みが中枢神経系に「記憶」され、持続的な痛覚過敏を引き起こす 8。 | |
| 脊髄レベル | 抑制性制御の障害(脊髄レベルの脱抑制) | GABA作動性・グリシン作動性介在ニューロンの機能不全により、痛みの信号伝達が抑制されず、過剰に伝達される 8。 |
| 下行性抑制系の障害 | 脳幹からの疼痛抑制経路の有効性が低下し、内因性の疼痛抑制システムが機能不全に陥る 1。 | |
| グリア細胞の活性化 | ミクログリア・アストロサイトの活性化と神経炎症 | 活性化されたグリア細胞がプロ炎症性サイトカインを放出し、神経興奮性を高め、神経炎症の悪循環を形成する 8。 |
| 上位脳レベル | 視床の変化と皮質再編成 | 痛みの知覚と感情的側面を修飾し、痛みを伴う領域の皮質表在領域が拡大する 8。 |
| 脳接続性の変化 | 疼痛処理領域間の接続性亢進や、疼痛調節領域との接続性障害が生じ、痛みの処理が異常になる 8。 |
III. トリガーポイントと筋膜性疼痛症候群
トリガーポイントの定義と特徴
トリガーポイント(Trigger Points, TrPs)は、筋肉または筋膜内に存在する、非常に過敏な局所的な圧痛点であり、触診可能な「硬結帯(taut band)」内の結節として定義される 10。これらのポイントは、過剰な筋肉の使用、不適切な姿勢、筋肉の損傷、精神的ストレスなどによって形成される可能性がある 10。
TrPsへの圧迫は、しばしば「関連痛(referred pain)」を引き起こし、身体の他の部位に痛みが感じられることがある 10。この関連痛は、肩、背中、緊張性頭痛、顔面痛として現れることがある 10。診断基準には、TrPsの存在、触診時の痛み、関連痛パターン、および局所性攣縮反応(local twitch response)が含まれる 12。
筋膜性疼痛症候群と線維性筋痛症の関係性
筋膜性疼痛症候群(Myofascial Pain Syndrome, MPS)は、TrPsの存在によって特徴づけられる局所的な疼痛疾患である 12。MPSの症状には、筋肉の深部痛、持続する痛み、筋肉の硬結、睡眠障害、倦怠感などが含まれる 10。
重要な点として、MPSは、一部の患者において線維性筋痛症につながる可能性があると示唆されている 10。これは、MPSが持続的な侵害受容入力を提供し、中枢性感作プロセスを開始または悪化させる一因となる可能性を示唆している 10。
FMの診断基準で用いられる「圧痛点(tender points)」は、MPSの「トリガーポイント」とは異なる概念である。FMの圧痛点は広範な疼痛過敏性の一表現であり、全身性の問題を示唆するのに対し、TrPsは特定の筋肉内の局所的な過敏性と明確な関連痛パターンを持つ 1。提供された研究資料では、FMの診断基準における「圧痛点」と、筋膜性疼痛症候群(MPS)における「トリガーポイント」という二つの概念が併記されている。これは、両者が異なる臨床的実体であるにもかかわらず、名称が似ているため混同されやすいことを示唆している。圧痛点はFMの広範な疼痛過敏性を示す指標であり、診断基準の進化とともにその重要性が低下している 7。一方、トリガーポイントはMPSの診断的特徴であり、特定の筋肉内の局所的な問題を示し、関連痛を引き起こす 10。この区別は、診断と治療戦略において極めて重要である。FM患者が圧痛点を持つことはあっても、それはMPSのトリガーポイントとは異なる病態である可能性が高い。MPSがFMを誘発する可能性 10 があることから、局所的なトリガーポイント治療がFMの中枢性感作を軽減する補助的な役割を果たす可能性も示唆されるが、FMの治療は全身性かつ中枢性の問題に焦点を当てるべきである。臨床医は、患者が訴える痛みが広範な過敏性(FMの圧痛点)によるものか、特定の筋肉の局所的な問題(MPSのトリガーポイント)によるものかを鑑別する必要がある。これにより、適切な診断と、より効果的な治療計画の立案が可能となる。
トリガーポイントの病態生理に関する最新の議論
TrPsの病態生理は完全には解明されていないが、局所的な組織低酸素、急性炎症カスケードの増加(ブラジキニン、サブスタンスP、インターロイキン-1)、およびpHの低下(アシドーシス)が示唆されている 12。これは、TrPsが単なる「筋肉のしこり」ではなく、細胞レベルでの代謝異常や炎症反応を伴う複雑な病変であることを示唆している。ミトコンドリア機能不全の仮説も提唱されたが、最近の研究ではTrPsにおけるミトコンドリア機能の差は観察されなかったという報告もある 12。一方で、TrPs付近での「ぼろぼろの赤色線維(ragged red fibers)」の存在や、トラペジウス筋痛症患者における好気性代謝障害の形態学的兆候が示されており、エネルギー代謝の異常が関与する可能性は残る 12。
筋膜性疼痛は、主に侵害受容性疼痛状態として分類されるが、神経障害性疼痛や中枢性感作の兆候(アロディニア、疼痛過敏症)を伴う場合は、侵害可塑性疼痛としても分類されうる。これにより、筋膜性疼痛を持つ個人を侵害受容性、侵害可塑性、または混合型表現型にサブグループ化する可能性が示唆されており、より個別化された治療アプローチの必要性を示唆している 12。この微細環境の理解は、TrPsに対する治療アプローチに影響を与える。単なる機械的な刺激だけでなく、炎症や代謝異常をターゲットとした治療(例:局所注射、特定の徒手療法、栄養療法)が有効である可能性を示唆する。また、TrPsが「侵害受容性、神経障害性、侵害可塑性」のいずれかの疼痛表現型を持つ可能性があるという示唆 12 は、TrPsの治療がより個別化されるべきであることを意味し、患者の疼痛メカニズムに基づいた精密医療への道を開く可能性がある。
IV. 線維性筋痛症の診断基準の進化
1990年ACR分類基準(圧痛点)
伝統的に、成人のFM診断は1990年米国リウマチ学会(ACR)分類基準に基づいていた 7。この基準は、少なくとも3ヶ月間の広範な筋骨格痛の病歴と、身体の18箇所の圧痛点のうち11箇所以上でのデジタル圧迫による圧痛の存在を要求した 1。広範な疼痛は、身体の左右両側、腰部の上方および下方、さらに軸性骨格痛(頸椎、胸部前部、胸椎、腰部)が存在する場合と定義された 13。
2010年ACR診断基準(WPIとSSスケール)
1990年基準は、圧痛点検査の論争性(例:検査者の主観性、再現性の問題)や、疲労、過敏性腸症候群、頭痛、不眠症といったFMに特徴的な関連症状の認識が限定的であるという点で批判された 7。また、圧痛点カウントが少ない患者(特に男性患者)を除外してしまう可能性も指摘された 7。
これらの批判を受けて、2010年、Wolfeらによって新しい診断基準が提案された。この基準は、圧痛点カウントを必須とせず、広範な疼痛指数(WPI)と症状重症度(SS)スケールを用いる 3。診断は、WPI ≥7かつSSスケールスコア ≥5、またはWPI 3-6かつSSスケールスコア ≥9の場合に満たされる 3。症状は少なくとも3ヶ月間同様のレベルで持続していること、および痛みを説明する他の疾患がないことが条件である 5。
WPIは、過去1週間に痛みを経験した身体の19領域(例:左右の肩甲帯、上腕、下腕、臀部、大腿、下腿、顎、胸部、腹部、上背部、下背部、頸部)をスコア化する(0-19点)。SSスケールは、疲労、非回復性睡眠、認知症状の重症度を評価し、一般的な身体症状の程度(例:筋肉痛、過敏性腸症候群、頭痛、めまい、不眠症、うつ病など)を加算して0-12点の最終スコアを出す 4。
2016年ACR改訂基準と広範な疼痛の定義
2016年、ACRは2010年基準をさらに改訂し、「全身性疼痛基準」を追加した。これは、顎、胸部、腹部を除いた5つの身体領域(左上、右上、左下、右下、体軸)のうち少なくとも4つに疼痛があることと定義された 3。この改訂では、「FMの診断は他の診断の有無にかかわらず有効である」ことが明確にされ、他の臨床的に重要な疾患(例:関節リウマチ、変形性関節症など)が存在してもFMの診断を妨げないことが強調された 3。これは、FMが独立した病態として認識されるようになったことを意味する。
診断における圧痛点の位置づけと課題
圧痛点は、特に2010年基準と組み合わせて評価される場合、診断プロセスの一部として考慮されうるが、臨床診断の確認には必須ではない 5。圧痛点の数は身体症状の重症度と関連する可能性がある 5。
しかし、圧痛点検査は任意的であり、痛みの種類を区別せず、十分な圧痛点がない患者(例:男性患者)を除外してしまうという懸念があった 7。より洗練された定量感覚検査(QST)などの新しい技術が、疼痛閾値や疼痛耐性を定量化するために用いられており、客観的な疼痛評価の進歩が期待される 7。欧州リウマチ学会(EULAR)の推奨では、迅速な診断と多分野にわたるアプローチの重要性が強調されており、診断の遅延が患者のアウトカムに悪影響を与える可能性が示唆されている 15。
1990年ACR基準が「圧痛点」という物理的所見に強く依存していたのに対し、2010年および2016年ACR基準が「WPI」や「SSスケール」といった患者の主観的症状と機能障害の包括的評価に移行したことは、FMの病態理解における根本的なパラダイムシフトを反映している 4。これは、FMが単なる末梢性の筋骨格系疾患ではなく、中枢神経系の疼痛処理異常(CS)に起因する全身性症候群であるという認識が深まった結果である。圧痛点カウントの限界(例:検査者の主観性、男性患者の除外、関連症状の無視)が認識され、より包括的で患者中心の評価が必要とされた 7。このシフトは、臨床現場での診断アプローチに大きな影響を与える。もはや「圧痛点の数」だけでFMを診断することは適切ではなく、患者の広範な痛み、疲労、睡眠、認知機能、その他の身体症状を総合的に評価することが求められる。これにより、より多くのFM患者が適切に診断され、治療にアクセスできるようになる可能性がある。また、「他の診断の有無にかかわらずFMの診断は有効」という2016年基準の明確化 5 は、複雑な併存疾患を持つ患者の診断を容易にし、FMを独立した疾患として認識することの重要性を強調している。
圧痛点カウントは、ある程度の客観性を提供しようとしたが、その再現性や特異性には問題があった 7。新しいWPIとSSスケールは、患者の主観的報告に大きく依存する。これは、FMが生物学的マーカーに乏しい疾患である現状において、患者の体験を重視する方向に進んだことを意味する。しかし、この主観性への移行は、診断の標準化や、シミュレーション(詐病)のリスクといった新たな課題も生じうる。診断の信頼性を高めるためには、WPIやSSスケールといったツールを適切に用いるための臨床医のトレーニングが不可欠である。また、定量感覚検査(QST)のような客観的な疼痛評価ツールの併用が、診断の補助として、また治療効果のモニタリングに有用である可能性が示唆される 7。将来的には、遺伝子、エピジェネティック、血清学的バイオマーカーの分析といった客観的診断アプローチの発展が期待される 1。これにより、診断の精度と客観性がさらに向上し、個別化された治療戦略の基盤が強化される可能性がある。
Table 1: 線維性筋痛症の診断基準の変遷
| 基準 | 1990年ACR分類基準 | 2010年ACR診断基準 | 2016年ACR改訂基準 |
| 主な焦点 | 圧痛点 (Tender Points) | 広範な疼痛指数 (WPI) と症状重症度スケール (SS) | WPI, SSに加え、全身性疼痛の明確化 |
| 疼痛の定義 | 左右両側、腰部上下、軸性骨格痛の存在 13 | 過去1週間の痛みを19領域で評価 (WPI) 14 | 顎、胸部、腹部を除く5領域中4つ以上に疼痛 4 |
| 圧痛点の要件 | 18箇所中11箇所以上で圧痛が必須 1 | 必須ではない 5 | 必須ではない 3 |
| 症状評価 | 疼痛のみに焦点 | 疲労、非回復性睡眠、認知症状、一般的な身体症状の重症度を評価 (SSスケール) 4 | 2010年基準と同様のSSスケール 3 |
| 診断閾値 | 広範な疼痛 + 11/18圧痛点 | (WPI ≥7 かつ SS ≥5) または (WPI 3-6 かつ SS ≥9) 4 | (WPI ≥7 かつ SS ≥5) または (WPI 4-6 かつ SS ≥9) 3 |
| 期間 | 少なくとも3ヶ月間 1 | 少なくとも3ヶ月間同様のレベルで持続 5 | 少なくとも3ヶ月間同様のレベルで持続 5 |
| 除外基準 | 他の疾患による説明がないこと 2 | 痛みを説明する他の疾患がないこと 5 | 他の診断の有無にかかわらず有効 3 |
| 利点/課題 | 客観性試みも再現性・特異性に課題、関連症状の無視、男性患者の除外 7 | 患者中心の包括的評価、関連症状の重視、診断精度の向上 6 | 併存疾患を持つ患者の診断を容易化、FMの独立した病態認識 5 |
V. カイロプラクティック治療と徒手療法
カイロプラクティック治療の有効性に関するエビデンスと限界
線維性筋痛症に対する脊椎マニピュレーション(Spinal Manipulation Therapy, SMT)を用いたカイロプラクティック治療の有効性に関する高品質な対照研究は限られており、結果は混合している 3。一般的に、低品質の研究では治療後の利益が報告される傾向があるが、これはバイアスによる可能性がある 3。
系統的レビューでは、カイロプラクティック治療の確立された有効性の欠如または結論が出ない証拠が報告されている 3。一部のレビューは「限定的な証拠」または「証拠なし」と結論付けており、特に痛みに対する効果については統計的に有意な差が見られない場合が多い 16。臨床診療ガイドラインは、その使用に対する強い推奨から、多角的治療の一部として考慮すべきという提案まで、非常に多様である 3。例えば、欧州リウマチ学会(EULAR)の推奨では、カイロプラクティックは「弱く推奨される」治療法の一つとして挙げられているが、その効果は「比較的穏やか」とされている 17。
一方で、線維性筋痛症患者の約40%がカイロプラクティック治療を利用していると報告されており、その理由として、他の治療への反応の限界、ケアの利用可能性、副作用の少なさ、患者の好み、非薬物療法の推奨などが挙げられる 3。これは、エビデンスの限界にもかかわらず、患者ニーズが高いことを示唆している。
高品質なランダム化比較試験(RCT)は混合した結果を示しており、SMTの単独での有効性を示す確固たる証拠は不足している 3。今後の研究では、標準治療との比較(補完的治療としての評価)、有害事象の報告、現代のFM理解を反映した患者中心のアウトカム指標の使用(WPI、SSSなど)、患者の治療動機の調査などが推奨されている 3。また、男性患者や非バイナリーの個人を意図的に含める必要性も指摘されている 3。
カイロプラクティック治療に関するエビデンスは、高品質な研究では混合または結論が出ないにもかかわらず 3、患者の利用率が高い(約40%)という顕著な乖離が見られる 3。これは、臨床現場での実践が必ずしも最高品質のエビデンスに追いついていないこと、または患者の治療選択がエビデンス以外の要因(例:副作用の少なさ、アクセシビリティ、個人的な信念、薬物治療への不満、非薬物療法の推奨)に強く影響されていることを示唆している。ガイドラインの推奨も多様であり、統一された見解が不足している 3。この乖離は、患者教育の重要性を浮き彫りにする。患者は、利用可能な治療法の有効性に関するエビデンスの限界について十分に情報提供されるべきである。また、カイロプラクティックや徒手療法が単独でFMの主要な治療法となる可能性は低いが、多角的治療アプローチの一環として、特定の症状(例:局所的な筋骨格痛)の短期的な緩和に寄与する可能性は残る。研究者は、患者がなぜこれらの治療法を求めるのか、その動機を理解し、患者中心のアウトカムを評価する研究をさらに進める必要がある 3。
徒手療法の有効性とそのメカニズム(筋膜リリースアプローチ、メイトランドモビリゼーションアプローチなど)
線維性筋痛症患者において、短中期的な疼痛緩和のための徒手療法の証拠が増加している 11。しかし、徒手療法は理学療法士の判断や傾向に基づいて行われることが多く、明確な科学的根拠に基づくものではないため、治療法の異質性が課題である 11。
筋膜テクニックアプローチ(Myofascial Techniques Approach, MTA)
最近の系統的レビューとメタアナリシスでは、筋膜テクニックアプローチ(MTA)がFM患者の痛み、睡眠、生活の質を偽治療と比較して改善することが結論付けられている 11。予備的な結果でも、MTAを受けた患者は治療後および1ヶ月のフォローアップで痛みと健康状態が有意に改善したことが示されており、知覚される痛みや感作関連症状(NPRS, CSI)、一般的な健康状態(GHQ12)、生活の質(FIQスケール)において統計的に有意な改善が見られた 11。MTAは、FMの病態に合致する全身性の作用機序を持つ。その効果は、機械的刺激が末梢および中枢の神経生理学的効果の連鎖を開始することによって説明される。これには、プロ炎症性メディエーター濃度の減少、機械的痛覚過敏の減少、および上位脊髄抑制経路の刺激による鎮痛反応の誘発が含まれる 11。
メイトランドモビリゼーションアプローチ(Maitland´s Mobilizations Approach, MMA)
付属関節モビリゼーション(メイトランドモビリゼーション)は、痛みを軽減し、可動域を改善し、迷走神経活動の増加を介した自律神経プロファイルの改善、およびFMに関連する心理的要因の改善に影響を与えることが知られている 11。しかし、提供された研究の予備的な結果では、MMA群では介入後またはフォローアップで有意な変化は見られなかった。これは、他の研究でもシャムと比較して有意差が見られなかったことと一致する 11。徒手療法の一般的なメカニズムと同様に、機械的刺激が末梢および中枢の神経生理学的効果(プロ炎症性メディエーターの減少、機械的痛覚過敏の減少、上位脊髄抑制経路の刺激)を引き起こす 11。脊椎モビリゼーションは、末梢関節モビリゼーションよりも広範な全身性および疼痛調節反射性効果を持つと考えられている 11。
徒手療法のメカニズムは、機械的刺激がプロ炎症性メディエーターの減少や上位脊髄抑制経路の刺激といった神経生理学的効果を引き起こすことによって説明されている 11。特に、筋膜テクニックアプローチ(MTA)が痛み、睡眠、QOLを改善するという結果は、MTAが末梢レベルだけでなく、中枢性感作に影響を与える可能性を示唆している。これは、末梢からの入力がCSを誘発・維持する要因となるという理解 1 と一致する。もし徒手療法がCSのメカニズムに直接的または間接的に影響を与えるのであれば、それはFM治療における非薬物療法の役割を強化する。徒手療法は、薬物療法のような全身性の副作用が少ないため、多角的治療戦略において重要な位置を占める可能性がある。しかし、治療法の異質性が課題であり、特定の徒手療法の効果を確立するためには、さらなる高品質な研究が必要である。
多角的治療における位置づけ
線維性筋痛症の管理には、患者教育、定期的な身体活動、セルフケア戦略への焦点など、多角的非薬物介入が基礎的に重要であると多くの機関が強調している 3。徒手療法、鍼治療、患者教育なども短期的な利益をもたらすことが示されている 11。運動療法(有酸素運動、筋力強化運動)、認知行動療法(CBT)、多成分療法(運動、教育、リラクゼーション、太極拳、マッサージの組み合わせ)などが、EULARの推奨で高いエビデンスレベルで推奨されており、これらはFMの包括的治療戦略の重要な柱である 15。
結論
線維性筋痛症は、中枢神経系の疼痛処理異常、特に中枢性感作が主要な病態メカニズムとして深く関与する複雑な慢性疼痛症候群である。この理解は、診断基準の進化に明確に反映されており、かつての圧痛点に焦点を当てた基準から、広範な疼痛指数や症状重症度スケールを用いた患者中心の包括的評価へと移行している。この変化は、FMが単なる末梢性の問題ではなく、全身性の神経生物学的変化を伴う疾患であるという認識の深化を示している。
トリガーポイントと線維性筋痛症の関連性については、筋膜性疼痛症候群が一部の患者でFMの発症につながる可能性が示唆されており、局所的な筋骨格系の問題が中枢性感作を誘発または悪化させる可能性が考えられる。しかし、筋膜性疼痛症候群のトリガーポイントと線維性筋痛症の圧痛点は異なる概念であり、その鑑別は適切な診断と治療選択のために重要である。トリガーポイントの病態生理における微細環境の変化や、疼痛表現型の多様性に関する新たな知見は、より個別化された治療アプローチの可能性を示唆している。
カイロプラクティック治療に関しては、その有効性を示す高品質なエビデンスは依然として限られており、結果は混合している。系統的レビューでは確立された有効性が示されていないか、結論が出ない場合が多い。しかしながら、徒手療法、特に筋膜テクニックアプローチは、FM患者の痛み、睡眠、生活の質を改善する可能性が示されており、そのメカニズムには中枢性感作への影響も含まれる可能性がある。
全体として、線維性筋痛症の管理には、患者教育、運動療法、認知行動療法、そして徒手療法を含む多角的非薬物介入が基礎的に重要である。薬物療法は重度の疼痛や睡眠障害に対して考慮されるが、治療効果は比較的穏やかである。エビデンスの質と臨床実践の間に見られる乖離は、患者への適切な情報提供と、患者中心のアウトカムを重視したさらなる高品質な研究の必要性を強調している。将来的には、バイオマーカーの特定や、個別化された多角的治療戦略の最適化が、線維性筋痛症患者の生活の質の向上に不可欠である。
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